2013年01月26日

若者は悪くない

 先日患者さんが、「高校生の男の子が政治の話をしていた」とおっしゃっていました。

 それをきっかけに「最近の若者」についての話を始めたのですが、意見が一致したのは、「最近の若者を悪く言っても仕方がない。彼らは大人を見て育ったのだから、もし若者がダメなら、それは大人が悪いんだ」ということでした。

 まさにその通りだと思うのですが、今日はその事について少し書いてみます。


 もっと若い頃からの僕の経験(その患者さんからすると僕も「若い」そうなので、こういう表現)ですが、確かにいました。

「最近の若い奴は…」と不平不満をタラタラ言ってくる年配の人が。

 個別に、ある子にある点を注意するならまだわかるのですが、もう若い子の多くがダメで、これから先の日本は大丈夫なのか、みたいなことをいう人がいるのです。

 しかし、そういう人の多くに対して僕が思っていたのは、「この人は尊敬できるないな」ということでした。

 自分をよく見ろ、と思っていました(笑)


 一方で、尊敬できる人もいて、考えてもみると、そういう人はあまり若者に対して文句を言っていなかった気がします。

 そしてそういう人は、その人自身が何かを背負ったり、どこかに向かって進んでいたように思えます。

 つまりは、若者の文句なんて言っている暇がなかったのではないでしょうか。


 若者はちゃんと見ていると思います。

 大人がどこを見ているか、大人が何をしているか、を。


 そもそも、時代も変わるのですから、前の世代で通用していたことが次の世代で通用するとは限りません。

 ですから若者のことは若者に任せて、もし失敗してもそれは勝手にさせて、それを糧に勝手に成長してもらえればいいと思うのです。


 大人にできるのは、背中を見せることしかありません。

 背中に自信のない人が、やたら若者を非難しているのかもしれません。



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2012年12月08日

衆議院議員選挙、公示

 先日、衆議院議員選挙が公示されました。

 投票日は12月16日です。

 今回は、民主、自民の他、10以上の政党、そして計1500人以上が立候補するという、選択肢が豊富な選挙となる模様です。


 これは、いいことなのでしょうか?悪いことなのでしょうか?

 僕はこれ、いいことだと思います。

 利害も意見も人それぞれ。

 ですから、いろんな候補者、いろんな政党があっていいと思うのです。

 多様性を認めるというのが民主主義の重要な要素であると思いますし、また、色々な選択肢があるというのは、豊かな証拠だと思うのです。

 無法状態、混沌状態になるのは困りますが、一定のルールのもと、国民一人一人に色々な選択肢があるというのは、やはり良い事なのではないでしょうか。


 今回の選挙は、原発をどうするか、消費税をどうするか、TPPをどうするか、官と民(の代表である政治家)の関係をどう変えるか、などが争点になると思います。

 しかし個人的には、(ここまで書いてなんですが)いつも以上の特別な興味はありません(笑)

 政治家は国民の代表。

 結局、国民の質が政治家の質を反映すると思っているからです。


 投票って、難しい行為だと思います。

 有権者みんなが同じ情報を得ているわけではないですし、政治家の意志と実行力が一致するわけでもありません。

 つまり、自分が考えて一票を入れても、自分が思ったとおりになるかどうかは、わからないからです(考えもないのに一票を入れる人もいるし)。

 自分はまあ、政治家の方々には過度な期待はせず、日々の活動を真面目にしっかりやろうと思っています。

 政治の存在意義を否定するわけではありませんが、国を本当に支えているのは政治ではなく、やっぱり国民一人一人の労働や技術や人間性だと思うからです。



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2012年10月13日

最近のお笑いタレント

 うちにはテレビがありません。

 正確に言うと、地上波デジタル放送に対応するテレビがないので、ある時期から番組が見れなくなりました。

 アナログ放送の時から段々見なくなってきて、地デジに移行しても、結局買わないでいるのです。

 ですからそれは、僕はテレビを見ません、という事でもあります。

 たまに見ることもありますが、よそで見るか、インターネットの動画投稿サイトでテレビ番組を見るだけです。

 従って、これから述べることは、ほとんどテレビを見ない人の主観による、単なる印象論だと思ってください。


 さて、僕はお笑いがけっこう好きです。

 志村けん、ビートたけし、タモリ、所ジョージ、とんねるず、ダウンタウンなどを見て育った世代でもあります。

 テレビを見てたころは「エンタの神様」なども見ていました。

 実は、最近のお笑いタレントについて、思うところがあります。

 …彼ら、おとなしすぎやしないでしょうか?

 何というか、野心というか、先輩たちを蹴落としていく気構えが足りないような気がするのです。

 その表現の仕方は違えど、僕が見てきたお笑いタレントには皆そういう気構えがあり、結果として、第一線に躍り出てきた気がします。

 先輩を押し出して。

 ビートたけしはフライデーに殴り込みに行ったし、とんねるずの石橋貴明は客を殴りながらステージに上がったこともありました。

 あ、それはあまり関係ないか。


 つまりは、そういう野心というか気概というか、そういうものが今の若手には足りない気がするのです。

 前の世代を押し出すような若手が出ない。

 それは、業界にとっても良くないのでは、と思うのです。

 もっとも、それが余計なお世話だというのもわかっています。

 本人たちがそう思わないなら、今の状況で満足しているならば、それは仕方がありません。

 世代の差なのかはわかりませんが、それはそれでいいのでしょう。

 ただ、僕に対して「見もしないおまえが言うな!俺らの好きにやらせろ!」と怒鳴りそうな人って、いない気がするんですよね…。

 それがちょっと寂しいのです。



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2012年08月26日

領土問題

 最近、竹島や尖閣諸島についての話題をよく目にします。

 つくづく、領土問題って難しいと思います。

 よく「古来からわが国固有の領土」なんて言いますが、正直に言いますと僕は、「土地なんかもともと誰のものでもないのに」と思っています。

「古来からわが国固有の領土」ってことは、土地とは、最初にいた人のものなのですか?

 では、アメリカはインディアンのものでは?

 オーストラリアはアボリジニーのものでは?

ということになりませんか?

 結局土地というのは、それが武力にせよ、経済力・政治力にせよ「力の強いものが所有してきた」だけだと思います。

「土地所有の正当性」なんていうのは、そもそも怪しいものだと思うのです。

 昔のことなど、辿りきれるものでもないでしょうしね。


 ただし、そういう「真理」(大げさな表現ですが)と、「現実政治」はまた別物だと思います。

 そこが自国の領土か否かは、国益に大きく影響します。

 言われるがままに領土を譲り渡してしまっては、国民が「損」をすることは目に見えています。

 だから譲れない。

 でもそれはお互い様で、それぞれ「物語」を掲げて「領土の正当性」をアピールしているのが現実だと、僕は思っています。


 じゃあ、竹島と尖閣諸島はどうすればいいか?

 正直、僕には意見はありません。

 ただ、争っている両国同士、それぞれの心情と国益ができるだけ満たせればいいと思います。

 そして、イスラエルのような悲惨な紛争地域にならないことを、切に願います。


 そういえばイスラエルも、ユダヤ人のものなのかアラブ人のものなのか、どっちなんでしょうか?

 

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2012年07月28日

イチロー移籍とアメリカ社会

 7月24日火曜日、シアトル・マリナーズのイチローが、ニューヨーク・ヤンキースに移籍したというニュースが流れました。

 僕はその日の午前中に、患者さんからそれを聞きました。記者会見の模様がテレビでやっていたそうです。

 仕事のあと、趣味でやっている格闘技サークルの練習に行ったら、僕以外に参加したメンバーは二人とも、そのことを知っていました。

 情報の伝達速度がすごいと思いました。

 やっぱり、大ニュースだったのですね。


 しかし、イチローがトレードで出るって、やっぱり、アメリカ社会のダイナミックさを感じました。

 昨年今年と少し調子が悪いですが、イチローほどの実績のある選手が、それも10年以上在籍しているチームから、シーズン半ばにトレードで出されるなんて、日本球界ではちょっとありえない気がします。

 なんでも、イチロー自身がマリナーズのオーナーに、「チームのことを考えたら、自分を出した方がいいんじゃないか」と話をしていて、それが実現したそうなのです。

 選手もオーナーも、素晴らしいです。

「潔い」と言うべきか、何か僕は、「爽快感」みたいなものを感じました。

 つまり、「現在、マリナーズにイチローという選手は必要ない。ヤンキースがイチローを欲しいと言っている。向こうはマリナーズが必要とする選手をくれると言っている。じゃあ交換しよう」というシンプルな考えなわけです。

 厳しいといえば厳しいですが、「過去」とか「恩」とか「義理」とか「コネ」とかに縛られるよりも、実力をもとに適材適所でやっていった方が、やはり合理的で、組織が活性化すると思います。

 それこそ平等だし、公正だと思うのです。

 また、こういうことができるのは、「仕事の評価」と「人間としての好き嫌い」を混同していない証拠だとも思います。


 もちろん、勝負に負けた人が生きていける保障や、勝負のスタートラインが平等であることが必要なのは、言うまでもありません。

 はたしてアメリカ社会にそのような保障がちゃんとなされているかは、わかりません。

 しかし、やっぱり、「実力勝負」というのはシンプルで美しい、と僕は感じます。

 その中で生き残った人というのは、やっぱり真に尊敬されると思うのです。

 そして、イチローもその一人なのです。



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2012年06月30日

ヒョードル引退

 先週に引き続き、スポーツ選手の話題です。


 先日、僕の尊敬する総合格闘技選手であるエメリヤーエンコ・ヒョードル選手が、試合をして(1ラウンドKO勝ち)、その後に引退を発表したそうです。


 1ファンとしては、「まだ35歳」「まだやれる」「まだ見たい」と思っているのですが、引退の理由を聞いて、思わず僕は唸ってしまいました。

「家族の存在が総合格闘技をやめる理由だ。娘たちが成長しているのに父親がそばにいないのはあり得ない。引退するにはちょうどいい時期だ」

 と言ったそうです。

 …いいパパじゃないですか!


 1ファンとしては選手・ヒョードルを見続けたいと思いますが、人間・ヒョードルの価値観は、別のところにあったようです。

 ならばこれはこれで、やっぱり尊重すべきだと思います。

 もっともこれは、若い頃からがんばり続け、好成績と高収入を手にした人だからできる決断かもしれませんが…、でも、かっこいい、潔い決断だと思いました。

「60億分の1」「氷の拳」「ロシアン・ラスト・エンペラー」などと呼ばれた彼も、普通の父親だったわけです。


 彼が見せていたのは、ただの暴力ではなく、やっぱり、プロスポーツとして「プレー」だったのですね。

 そして、リング(たまに金網)で十分稼いだら、家庭生活とのバランスも考えて、潔くリングを降りたのです。

 何だか僕は、ヒョードルがもっと好きになりました。



*明日7月1日(日)は臨時休業させていただきます。翌月曜日の定休日とあわせて、連休となります。誠に勝手ながら、何卒ご了承ください。

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2012年06月24日

今後のイチロー

 イチロー選手の打撃成績が、今年もどうもパッとしません。

 6月22日現在、出場70試合、293打数79安打、打率.270で、このペースでヒットを打ち続けると、最終的に183安打となるペースです。


 昨年は、メジャー入り初めて、また、日本で一軍に定着して以来初めて、打率3割を切ってしまいました。

 また、メジャー入り1年目から続いていた年間200本安打の記録も、昨年途切れてしまいました。


 さすがのイチローも年齢による体の衰えがあるのかもしれませんし、どこかに故障があるのかもしれません。

 しかし僕は、それとは別に、メンタル面でこれまでと違いがあるのではないかと、密かに推測しています(こうやって公開しているので「密か」ではなくなった)。


 何だか最近のイチローは、顔つきが優しくなったと思いませんか?

 また、シーズンオフにインタビューに答えたときに、「他人の成功を喜べるようになりたい」と語っているのを耳にしました。

 正直な話、実力主義のプロ野球の世界では、ライバルを蹴落としていく覚悟が必要なはずです。

 ですから、そう考えることはマイナスになるのではないかと、それを聞いて僕は思いました。

 つまり最近のイチローは、「野心」や「闘争心」がなくなってきたのではないかと、僕は考えているのです。

 まあ、野次馬というのは結果を見てから「ああだ、こうだ」と言い出すものなんですけどね(笑)


 しかし、イチローのそういう変化について、単純に「良いか、悪いか」は決められないと、僕は思います。

 だって、本人がそういう気持ちならば、それはしょうがないじゃないですか。

「イチロー」というのは、僕らがマスメディアを通じて認識している、いわゆる「虚像」であって、野球選手としての一つの「役柄」にすぎません。

 本来の「鈴木一郎」さんはやっぱり別人で、野球以外のことも考えるもっと複雑な存在のはずです。

 ですから、苦しんで苦しんで、ようやく本人が達成感を感じたときに、同じモチベーションを保てるかどうかというのは、良い・悪いの問題ではないと思うのです。

 どうせ役に立たなくなったらクビにされる世界です。

 気持ちが折れたとしても、本人がその責任を取るしかないのですから。


 僕はイチローが好きで、ずっと注目してきました。

 そのプレーの美しさに感動し、励まされ、また、その言動に考えさせられもしました。

 しかしそんなイチローも、バットを置く日は必ず来ます。

 個人的にはもう十分楽しませてくれたと思いますし、そもそも僕の夢は僕の夢で、イチローの夢はイチローの夢であって、僕がイチローに過度の期待をかけるのは、お門違いだと思います。

 どうせなら…、これからホームランバッターになってもらいたいかなあ。イチローは、「狙えば飛ぶ」という説があるので、ホントにそうかどうか、見てみたいですね。

 あと、引退したら、役者も面白いかも。昔『古畑任三郎』に犯人役で出たときは、とても上手でした。

 それから、コーチ、解説者も向いてる気がします。僕はイチローって、球界屈指の頭脳を持っていると思っていて、論理や客観性が必要なそういう仕事には向いていると思うのです。

 監督は…、何かちょっと違う気がするけど、意外にできる気もするし…。


 …引退後まで口にして、野次馬が勝手言ってすいません、イチローさん。

 しかし、結論としては、好きなように、充実した今後を送っていただければ、と願っている僕でした。

 

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2012年06月02日

日本社会の弱点(意見・利害と人間関係)

 立派そうなタイトルですが、ふと思ったことを書いてみるだけです。


 たしか8年ぐらい前、当時僕が所属していたオステオパシーの団体内で、争いが起きたことがありました。

 結局、会は2つに分裂してしまったのですが、その際に、両陣営から「こっちが正しい。こっちに来なさい」という勧誘合戦が繰り広げられました。

 その時に何人か、「こっちに来なかったから、あなたとの関係はそれまでね」という態度をとる人がいました。

 僕はそれが不思議でした。

 みんなそれぞれ目的や考え方が違うのだから、どっちにしようが勝手じゃないか、と思ったのです。

 ちなみに、「実際に口頭でそう言われた」という人の話を耳にしたこともありました。


 しかし考えると、僕のような感覚の人は、日本においては多数派ではないのかもしれません。

 どういうことかといいますと、つまり、

「仲良し=意見・利害を共にする」

 というのが、日本における人間関係の多数派であるような気がするのです。

 個人の本音は腹におさめて、「あの人にはお世話になってるから」とか「あの人は仲間だから」と、みんなで同調してしまう、同調しなければいけない雰囲気になるというのが、日本社会の特性だと思うのです。


 もちろん、些細な事や、小さな人間関係の中においては、僕もそんな事はどうでも良いと思います。

 しかし、社会全体に関わる大きな事においては、やはりそれは、大きな欠点になるのではないでしょうか。

 フェアで合理的で、みんなが得をする選択肢があるにも関わらず、「あの人には世話になってるから」「あの人に損をさせてはいけない」と、ごく一部の人のためにそうでない選択をしてしまうという事が、日本社会のあちこちで見られます。

 よく言う「しがらみ」というやつです。


 僕はそういうのが好きではないので、実生活でもあまり「しがらみ」のない生活をしています。

 そもそも、人間関係と意見・利害というのは、同軸で考えるものではないと思うのです。

 意見が同じでも友達は友達、意見が違っても友達は友達。

 二人で得しても友達、片方だけが得しても友達、片方だけが損をしても友達、二人で損をしても友達。

 ということです。

 片方が得をして、そのために片方が損をするとしたら…これは迷うところですが、そういうこともあるでしょう。そういうときは、それぞれの状況をオープンにして、複雑な心境で損得を選びましょう。


 話が逸れましたが、つまり、日本において多数派と思える「仲良し=意見・利害を共にする」という感覚は、息苦しい人間関係になりがちですし、社会の大きな問題を生み出しやすい。

 僕はそう思う、ということです。

 意見が違うのは当然。利害が一致しないのも当然。

 そう考えた方が、色々うまくいくのではないでしょうか。



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2012年04月07日

消費税増税論争に見る「決断」

 消費税を上げるか上げないかで、国会はもめているようです。

 こういった様子を見ていて僕は、「日本人って、『決断』が苦手なんだなあ」と思います。

 今日はその事について書いてみましょう。


 消費税を上げた方がいいか、どうか。

 僕には一応意見があります。理由もあります。それから、その反対意見もある程度把握しているつもりです。

 ただし、「自分の意見が絶対的に正しいかどうか」はわかりません。

 ここが僕のちょっと変わった所かもしれませんが、さて、こういう態度は無責任なのでしょうか?


 人間は現状を分析します。そして根拠を持って、最前の未来に向けての選択をします。

 しかし、それらは常に、確率論でしかないと思うのです。

 誰もが均等に情報を持っているわけでもないし、それぞれ立場も違うでしょうから主観だって変わります。

 ですから、常に正しい選択をできる人なんて、いないと思うのです。

 観察するに、「こうしないとダメだ」「ああしないとダメだ」という人同士が言い争って、結局結論が出ず、問題の処理が遅れている、というのがここ20年の日本の様子に思えます。


「こういうメリットとデメリットが考えられるが、この選択が最善だと思う。とりあえずやってみよう。失敗だった場合の保険もかけといて、一定期間様子を見て、結果が出なかったら違う策を選ぼう」

 これじゃダメなんでしょうか?

 というか、こう選んでいくしかないのでは?


 僕は20代のころから自営業をしていますので、自分で「決断」をすることが、同年代の人よりは多かったと思います。

 今振り返ると、その決断が正しかった事も間違っていた事もありましたが、何とかやってきている、というのが正直な感想です。

 今だに、あの選択が正しかったかどうか、と判断のつかないこともあります。

「決断」とは、そんなものじゃないでしょうか?

 ちなみに、なぜか自信たっぷりに「ああしろ」「こうしろ」とアドバイスをくれる人も周囲にいましたが、そういう人ほど根拠が薄く、結果がどうなろうと気にもしません(笑)

 そして、よく考えてくれる人ほど、アドバイスは控えめで的確でした。

 そういう人は、僕が決断して僕が責任を取るしかないという事と、未来を100パーセント言い当てることは不可能だという事を、理解していたのかもしれません。


「決断」とは、正しい道を選ぶことではないと思います。

 そんなことは神様以外に不可能です。

「決断」とは 正しい「確率が高い」道を選ぶ事、と言ってもいいのではないでしょうか。


 消費税の問題というのは結局、国家財政が悪化しているため、増税するか、歳出を削減するか、歳入を増やす策を打つか、その手順や方法をどうするか、ということが争点なのでしょう。

 しかし、借金したら利子をつけて返さないといけないのですから、「スピード」というのは重大な要素だと思うのです。

 消費税増税という手を選ぶかどうかは別として、少々のデメリットは覚悟して、早く「決断」をした方が良いのではないでしょうか。

 もたもたすることが、最も良くないと僕は思います。

 少なくとも僕は、自分たちで選んだ議員の「決断」が間違っても、ああだこうだ言おうとは思いません。(そう言う人たちがいるからいけないのかも)

 あんまり判断を間違う人には、次の選挙で投票しなければいいのですから。

 それが民主主義というものです。



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2012年02月17日

試験の成績や学歴

 近所の専門学校の前を通ったら、そこが某大学の入学試験の会場になっていました。

 そういう時期なのですね。


 僕が中学高校ぐらいのときは、「試験でいい点を取る子はすごい」と多数の子が思っていました。

 また、試験の成績が、人生を左右するとても重要なことのような雰囲気もありました。

 だからみんな、試験の結果に喜んだり悲しんだりして、さぼりたいのにがんばって勉強していたわけです。

 当時の僕も、そういう気持ちを持っていました。


 しかし、34歳になった今は、そういう「試験の成績」とか「学歴」の重要度が自分の中でずいぶん下がりました。

「そんなもの、できた方がいいだろうけど、できなくても他に道はいろいろある」と今は思っています。


 たとえば、僕の同業者で、自分はどこの学校を出たとか、自分は学校の試験がどれくらいできた、なんて誇る人はいません。

 いたとしても、「だから?」と言われるのがオチでしょう。

 だって僕らの仕事は、「腕がいいかどうか」「患者さんに支持されるかどうか」が問われる仕事だからです。

 そして、別にそれは僕らの仕事が特別だということでもありません。

 世の中を見渡すと、試験の成績や学歴があまり役に立たない仕事というのは、けっこうたくさんあるものです。


 結局、「試験の成績」や「学歴」が気になってしょうがない人というのは、ある意味、「思い込んでいる」だけだと僕は思います。

 そして、そのまま大人になった人が、自分の子供をあおってしまう事もあります。

 また、塾とか教材で商売をしている人にとっては、そういう人が多ければ多いほど都合が良かったりもします。

 こう考えると、そういうものをあまりに重要視して世の中が動いてしまうというのは、ある種の危険性もあるのではないかと、僕は思います。


 そもそも試験というのは、出題者の能力が問われる行為でもあります。

 大人になって、いわゆる「試験問題」というのを見ると、「そんなことを問題にしてどうするの?」と思うことが結構あります。

 その場合、解けない子の頭が悪いのではなく、質問している大人の頭が悪いのです。

 そういう大人に評価されなくても、何の問題もないのです。

 まあ、そう判断している僕の頭が悪い、という可能性もあるのですが(笑)


 考えてみましょう。

 デパートの店員に、試験の成績や学歴が必要ですか?

 事業を始めるのに、試験の成績や学歴が必要ですか?

 子育てするのに、試験の成績や学歴が必要ですか?

 専業主婦に、試験の成績や学歴が必要ですか?

 老人介護に、試験の成績や学歴が必要ですか?

 恋愛に、試験の成績や学歴が必要ですか?

 運送業者に、試験の成績や学歴が必要ですか?

 建設業者に、試験の成績や学歴が必要ですか?

 スポーツ選手に、試験の成績や学歴が必要ですか?

 より幸せに生きるのに、試験の成績や学歴が必要ですか?


 もちろん、できないよりできた方がいいし、それが本当に必要な人もいます。そういう人は一生懸命勉強すればいいと思います。

 でも、それは人生を歩んでいく一つの手段であって、あんまりにも重要視するのは、いかがなものかと思うのです。

 他に必要な能力も、多々あるのです。


 僕は大学受験から逃亡し、高卒で、簡単に入って出れるオステオパシーの学校(この時は必要だと思ってちゃんと勉強しました)を卒業して現在に至りますが、わりと充実した毎日が送れています。

 道はいろいろあるものです。



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